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・・・享保二年(1717年)富山藩士の吉村新八が三代藩主前田利興に鱒でつくった寿しを供した。
利興が「こんなに旨いものを富山の名物として将軍に献上すれば・・」と言ったので、新八はさらに味付けに工夫を凝らし、それを八代将軍吉宗に献上したものが名産品としての「鱒乃寿し」のはじまりである・・・
これは鱒の寿しの歴史として知られているものでありますが、鱒乃寿しの祖である吉村新八の部下に「関野某」という武士がいたという記録が残っております。
この関野氏が新八と共に鱒乃寿しの製造に携わり、その製法を後世に残したのではないかと言われております。
関野氏の子孫である関野昌右衛門が寄贈した石碑が、現富山市 立像寺(関野家の菩提寺)に残されています。
この石碑には
「文政十年(1827年)関埜屋(「埜」=「野」の元字)昌右衛門 同 善五良 同 辰之助」
と記されています。
現在の関野屋の創始者は明治初期の関野庄右衛門ですが、「関野屋」という屋号は文政時代(1817~1829年)から存在したようです。
当時は他の川魚も用いた熟寿しが主流だったようですが、その関野屋を鱒乃寿し専門店として興したのが明治の庄右衛門となります。
現在の店主は庄右衛門から数えること6代目。
関野屋として140年以上、関埜屋から200年弱の伝統を頑なに守っております。
「鱒乃寿し」店舗の中で最も歴史のある当店では、既製品ではない伝統の味を日々作り続けております。